雑誌『サンデー毎日』の1942年新年号が手元にある。当然のことながら、実際の年号表記はこの西暦ではない。皇紀2602年、昭和17年と記されている
▼太平洋戦争が始まってすぐの年明けに発行されたものだ。中に戦争への思いを詩文でつづった「戦争詞華集」があった。「ああ大詔渙発の日 記憶せよ皇紀二千六百一年十二月八日 聖なる神の御聲 赫たる天の焔は ああ一億の民を導き給ふ」白鳥省吾作。41年12月8日、勝算少ない米国との戦争に踏み出した真珠湾攻撃だったが、作戦を実行に移してみると、日本海軍は米国太平洋艦隊をほぼ壊滅させる予想以上の戦果を上げた。日本中が大いに沸いたのだろう。前掲した詩の勢いがそれを見事に物語っている
▼ただ、米国に対する宣戦布告が遅れ、結果的に「だまし討ち」の形になったことで、戦後も日米両国の消えない傷口として残り続けたのはご存じの通り。日米関係がこじれるとよく、「リメンバー・パールハーバー」の声が聞かれたものだ。その傷口を治す良い機会だろう。安倍首相が「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。未来に向けた決意を示したい」と、今月下旬にハワイを訪れ、オバマ米大統領と真珠湾攻撃の犠牲者を慰霊することにしたそうだ
▼再び昔の雑誌から、今度は『アサヒグラフ』44年3月1日号である。「撃て!この鬼畜米国!」の特集の中に、米国では「キル・ユー・ジャップ」があいさつ代わりとの記事。もちろん過去の亡霊だが、それをよみがえらせないよう、憎しみを解消する今の努力がいる。