作家田村喜子が史実を基に本道鉄道建設の歴史を描いた『北海道浪漫鉄道』(新潮社)に、水害による鉄路寸断の怖さを記したこんな一節がある
▼「交通途絶は、米価の高騰を招き、食糧不足を来たし、上川地方に深刻な影響を与えていた。畑作には病虫害が発生し、一時に家も田畑も失った住民のなかには、乞食に身を落とすものもあり、犯罪は激増した」。旭川の住民は、日々おびえて暮らすしかなかったという。もちろん最近の話ではない。旭川と空知太を結ぶ上川線が開業した1898(明治31)年8月21日から間もない、9月7日の大雨がもたらした災厄だったという。盛り土が流され線路はずたずた。軌道は倒れた巨木でふさがれ、橋梁は全て流失したそうだ
▼かろうじて代替交通路がある現代では、昔の旭川の人ほど困窮はしなかったろうが、それでも相当な不便はあったに違いない。利用者らは今、ほっとしているだろう。夏の台風で寸断されていた石勝線・根室線の復旧にめどがついたのである。JR北海道の発表によると、運休していた特急「スーパーおおぞら」なども22日には再開させるという。このところ暗い話題ばかり目立った同社で、久々に聞く明るいニュースである
▼それにしても復旧の速さには驚かされた。転用できる橋桁があったのも幸運だったが、やはり運行正常化に懸ける鉄道マンの熱意と技術力のたまものだろう。田村さんが小説で伝えたかったのもそのことだった。「原野を拓き山岳を穿ち、橋梁を架けて鉄道を建設するのがシビルエンジニアなのだ」と。