最近は随分と日が短くなりましたね―。この時期、そんなあいさつを交わすことも多いだろう。毎日、仕事を一段落させふと気が付くと、早くも夕暮れの気配が色濃く漂っている。知らぬ間に大事なものをなくしてしまったような、奇妙な喪失感が不意に胸を突く
▼作家梶井基次郎もそうだったらしい。『冬の蠅』にこんな描写があった。「私は毎日自分の窓の風景から消えてゆく日影に限りない愛惜を持っていた」。主人公の男が冬至のころ抱いた感慨だという。ことしはきょうがその冬至である。男はすぐ後に「日の当たった風景の象徴する幸福な感情」とも述べているから、早すぎる夜の訪れは歓迎していなかったようだ
▼もっとも、世の中はそんな人ばかりでなく、夜が待ち遠しい人もいる。年末まで残り10日、ということは忘年会真っ盛り。日が暮れていくのをうれしそうに眺めている人がもしいたら、十中八九その手合いである。ちなみに日の入りは札幌で午後4時3分。程なく夜だ。しばし待たれよ。「寛ぎをたつぷり貰う柚子湯かな」芝あきを。忘年会がなければ、ゆっくりゆず湯につかりたい。さわやかなゆずの香気で、一年の疲れも抜ける。長い夜も工夫次第で幸福度はぐっと増すのだ
▼ことしは女性社員を昼夜別なく働かせ、自殺に追いやった電通のことが話題になった。かの会社でも当然忘年会は開かれていよう。楽しいか楽しくないかは別として。ただ、のんびりとゆず湯で緊張をほぐせている社員はどれだけいるだろう。消えゆく光に愛惜を感じる余裕はできただろうか。