20年ほど前のことだが、現場で一体何が起きていたのか知りたいと思い、村上春樹氏の『アンダーグラウンド』(講談社)を読んだ。1995年3月20日にオウム真理教が犯した地下鉄サリン事件の被害者ら60人から、当時の状況を詳細に聞き取った記録である
▼印象に残ったのは少なからぬ人が「自分がこんな目に遭わねばならなかった理由」を問うていたこと。人は理不尽な目に遭うとそこに意味を見つけたがる。この事件がいかに常軌を逸していたかを示すものだろう。車両内でサリンの袋をじかに拾い上げた地下鉄職員の男性が言っていた。「犯人は死刑になって当然だと思います。死刑廃止論もあるけれども、あれだけのことをやったんですからね」。彼は同僚を二人失っている
▼29人が犠牲となったオウム真理教による一連の事件を、教祖として首謀した麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の刑がきのう執行された。共犯者同日執行の慣例通り、早川紀代秀ら6人の死刑囚の刑も各拘置所で行われたという。明るみに出た事件だけでも89(平成元)年の坂本堤弁護士一家殺害、94年の松本サリン散布、そして95年の地下鉄サリンといずれも凶悪。一区切りがつくまで平成の30年を丸々費やしたことになる
▼今回の執行には賛否議論もあるが、現行の法体系の下では当然の帰結だろう。ただ残念なのは松本死刑囚がついに被害者や遺族の「なぜ自分がこんな目に」の疑問に答えなかったことである。裁判では幹部に責任を押し付け、途中からはだんまりを決め込んだ。その卑劣さこそ真相と断ずるしかない。