昨年10月に亡くなった登山家の田部井淳子さんは、中国天山山脈で雪崩に襲われた経験を持つ。『それでもわたしは山に登る』(文春文庫)に記していた
▼一瞬にして雪面が切れ、一日かけて登った斜面を3、4分で落ちたそうだ。その間、目や鼻や口には「針のように雪がぶつかって」きたらしい。雪崩の最上部にいたため運良く埋没は免れたものの、こう実感したという。「雪崩の中に巻き込まれた人間は無力」。今回も、そう気付いたときには既に遅かったろう。栃木県の「那須温泉ファミリースキー場」で起きた雪崩遭難のことである。登山講習会に参加していた県内7高校の登山部員と教員合わせて48人が巻き込まれ、県立大田原高の生徒7人と教員1人が亡くなった。あとの40人もけがをしたという。痛ましい事故というほかない
▼分からないのは指導者がなぜこの悪条件下で、生徒を危険に飛び込ませたかである。一晩で大量の降雪があったとき、登山ではまず何よりも雪崩の発生を警戒するものだ。地形図を見ると遭難地点は雪崩の通り道のような場所である。集団が一斉に行動すると雪崩を誘発しかねないし、大量遭難の恐れもある。指導者は積雪を訓練の好機と見たのだろうが、教育意識が先に立ち、安全が置き去りにされたとすればやりきれない
▼田部井さんは肝に銘じていたそうだ。「頂上に立つことより、全員で帰ることのほうが大事」。登山では常にその見極めこそ難しい。講習最終日はラッセル訓練でなく、全員で無事帰るための判断力を磨く学びの場にしてほしかった。