漫画家手塚治虫に「赤の他人」という短編がある。読んだのは昔だが人間不信に陥るような薄気味の悪い作品だった
▼主人公のアキラが周りの世界に違和感を覚えるところから物語は始まる。皆が演技をしている気がするのだ。秘密を暴こうと悪戦苦闘した末にアキラがたどりついた真実は、自分が操り人形で、その人生は多くの観客を楽しませるための見世物だったこと。風景も建物も「はりぼて」だったのである。その短編を思い出したのは、北朝鮮が久しぶりに海外の報道陣を招いて完成のお披露目をした「黎明(れいめい)通り」のニュースに触れたからである。70階建てタワーマンションを中心とする高層ビル街を新たに整備した事業だが、工期はわずか1年だったという。北朝鮮でだけ物理や化学の法則が異なるのでなければ「はりぼて」に違いない
▼映像を見る限り現代風の都市建築で見栄えも良いが、つまりはただそれだけのこと。実際に住むことはできぬ芝居の書き割りみたいなものなのだろう。建物を造るには正しい手順と適切な工期が必要だ。国際社会で確固たる地位を得るのも同じこと。相応の時間はかかる。金正恩朝鮮労働党委員長はそれを核兵器で一気に実現したかったのだろうが、やはり国として「はりぼて」の感は否めない。表に戦争の火種となる核はあっても、その背後に人々の豊かな暮らしはないからである
▼「赤の他人」とは反対に、金委員長一人が観客で、国民全員が操り人形として人生を演じさせられているようにも見えてくる。こちらは残念ながら物語ではない。