幕末の風雲児とも称された長州藩の高杉晋作は、ある経験を契機に攘夷(じょうい)思想は正しいと確信したという。それは幕府貿易調査の一員として清国に渡ったこと。そこで目にしたのは英国に植民地とされ虐げられる民衆だった
▼このままでは日本も、と強い危機感を抱いたらしい。その後の活躍は、目覚ましかった。奇兵隊を組織し、欧米の連合艦隊と戦い、第二次長州征伐ではついに幕軍を破ったのである。亡くなったのは1867年の5月17日。きょうは150年目の忌日である。ただ、旧暦では慶応3年4月14日のため、高杉晋作墓所「東行庵」では毎年4月に命日祭を開いているようだ
▼藩校明倫館では飽き足らず松下村塾に学び、江戸の昌平黌(こう)に留学までした英才である。そんな人が「尊皇攘夷」の御旗を掲げて西洋式の軍隊を組織し、幕府に立ち向かった。しかも明治維新の1年前に長らく苦しんでいた肺結核に倒れ28歳でこの世を去っている。これほど劇的な人生もないのでないか。自分の名前は晋作に由来していると語るこの人も、同郷の偉人と自分の人生を重ねるときがあるのかもしれない。山口県を郷里とする安倍晋三首相のことである
▼どうやらそろそろ、主戦場に戻ろうとしているらしい。先日、自民党総裁として、2020年に改正憲法を施行する意志を表明したのである。「おもしろきこともなき世をおもしろく」との意図があったわけでもあるまいが、この急な号砲には政界も大揺れだ。改憲の実現はさておき、平成末の風雲児の異名だけは決まりかもしれぬ。