役に立たないものや、形ばかりで中身のないものを例えた言葉に「絵に描いた餅」がある
▼『三国志』由来の故事成語「画餅」からきているのはご存じの通り。「名は地に画きて餅を作るが如く、啖うべからざるなり」がその一節である。つまり名声などというのは土の上に描いた餅のようなものだから、真に受けるべきでないというのが元の意味だ。名声に関しては意見も分かれようが、餅なら絵など話にもならぬ。きのう、新聞の各紙を眺めていて大いに考えさせられた。これは本物の餅と絵に描いた餅くらい別の話なのではあるまいかと。ご覧になったろう、英マンチェスターで起きた自爆テロの記事と、「テロ準備罪法案」が衆院を通過した記事が1面に並んで載っていた
▼一方の「テロ」からは胸を押しつぶされそうな重さを感じた半面、もう一方の「テロ」からは片仮名2文字分の重さしか感じなかった。どちらかが絵に描いた餅だったのだろう。現実と法案の違いだけでは、その落差を説明できない。国会議員の多くは、まだテロを真に受けるべきものでないと考えているのでないか。だからこそ政府与党は説明責任を甘く見、民進党など法案に反対する野党は政権攻撃の道具に使おうとする
▼日本でもオウム真理教のサリンテロがあった。今回の英国のテロでは8歳の子どもを含む22人が犠牲になったという。運用に課題が残されているとはいえ、準備段階で組織的犯罪集団を処罰できる法案の検討自体はおかしなことではない。国会はいつまで絵に描いた餅の議論ばかり続けているのか。