五大陸最高峰登頂や北極圏犬ゾリ1万2000㌔の旅を成し遂げた植村直己は、冒険についてこんな考えを持っていたようだ。『男にとって冒険とは何か』(潮文庫)に記している
▼「自分の経験していない新しいことをやろうと、自分を賭け、決断し、実行していくことが、その人にとっての冒険心であると思う」。自分にとってそれは旅だったが、研究でも商売でも人生を賭けるならやはり冒険に違いないという。26日の竜王戦決勝トーナメント初戦で勝ちを収め、30年ぶりに公式戦29連勝の新記録を打ち立てた藤井聡太四段の報に触れ、植村直己の言葉を思い出した。まだ中学3年生、14歳の若さとはいえ、全身全霊をかけて将棋に新たな道を切り開こうとする藤井四段に、優れた冒険家の姿を見た気がしたのである
▼まさに今、誰も歩いたことのない領域に足を踏み入れたわけだ。この盤上の冒険での頼りは持ち前の集中力と探究心、そして目前の一戦のための入念な準備となろう。つまり自分自身である。過熱気味の世間がそんな若い心を押しつぶさないかと心配していたのだが、師匠の杉本昌隆七段が26日のNHKニュースで、藤井四段は28連勝の後もプレッシャーを感じていないようだったと語っているのを聞いてほっとした。想像以上に器が大きいのだろう
▼29連勝とはいえ冒険は始まったばかり。彼の前には険しい高峰が幾つもそびえていよう。遭難だけはしてほしくない。だからあの純真な顔を見るとついつぶやきたくなるのである。急ぎすぎるなよと。凡人の杞憂(きゆう)だろうが。