民俗学者梅棹忠夫に「東南アジアの旅から」(『文明の生態史観』中公文庫)の論考がある。世界史の中にこの地域を位置付ける試みなのだが、書き出しが印象深い
▼「われわれは、東南アジアをどうみるか」と自ら問い掛けた上で、こう答えているのである。「どうみるもなにもあったものではない。わたしたちは、東南アジアについていったいなにをしっているというのだ。ほとんどなにもしらないではないか」。実はこの論考、梅棹氏が1957年から58年にかけて東南アジア諸国を学術調査で巡った後、発表されたもの。随分と昔の話だが、ビジネスや観光で格段に関係が深まっているとはいえ、今も一般の日本人にとって事情はさほど変わっていないかもしれない
▼東南アジア諸国連合(ASEAN)がきょう、設立50周年を迎える。これを知っている人もそう多くないだろう。加盟10カ国のほとんどが植民地で、経済と文化の復興に乗り出したのは戦後独立してからのこと。ASEANはその礎だった。ところで近年、中国がASEANの海ともいえる南シナ海で不法開発を進め、地域の経済や平和を脅かしている。航路を利用する日本にとっても人ごとでない
▼ASEANと中国は6日、外相会議を開き、紛争防止に向けた行動規範の枠組みを了承した。だが、実効性には疑問符が付くようだ。中国の意向に逆らえない国も多い。梅棹氏は論考でこんな指摘もしていた。「異質なものが、どういうようにうまく結合されるかをかんがえねば」。その通りだろう。ただ、答えは容易に見えてこない。