この夏休みも子どもたちの宝物になるたくさんの思い出が生まれたのではないか。「西瓜を食べてた 夏休み 水まきしたっけ 夏休み ひまわり 夕立 せみの声」
▼「麦わら帽子は もう消えた」で始まる吉田拓郎さんの歌『夏休み』だが、今振り返ると詞に出てくるような特別でないことでも、夏休みというだけでなぜあれほど楽しく感じられたのか。今も昔も子どもにとって夏休みは魔法の時間であるらしい。いや子どもたちにとってだけではなさそうだ。孫が遊びに来たおじいちゃん、おばあちゃんにとっても貴重な時間に違いない。『こどもの詩』(文春新書)に、「夏休みの一番楽しかったこと」があった
▼「おばあちゃんの家に行った いっぱいけがをしたけれど 一番たのしくあそんできた 滝を見にいったり みんなでごはんを食べにいったりした 帰るとき おじいちゃんがなぜか泣いていた そのあとで にがわらいしていた」(橘祐樹・小5)。自分のことだと思う人も多いのでないか。ところがおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行った帰り、泣いて別れを惜しんだ孫も10年もたてば自然、足は遠のいていく。子どもの成長は早いものである。そんなうれしくも寂しい現実を知っているからこそのいとしさでもあろう
▼さて子どもたちには残念なことだが、本道の小中学校ではほとんどが21日、早い地域だとあす、新学期が始まる。宝物のような思い出は残ったが、実は宿題もまだいっぱい残っているという子も少なくないのでないか。こればかりは魔法でもどうにも…。