漂泊の歌人石川啄木は、函館、札幌、小樽と職を求めて各地を転々とした。本道で最後に暮らしたのが釧路である。釧路の地を踏んだのは1908(明治41)年1月、21歳の時だった
▼駅に着いたのは夜。歌を残している。「さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき」。日本の果てまで流れてきてしまったやるせなさが啄木を少々めいらせていたようだ。ここで作った歌には影のあるものが多い。とはいえ釧路ならではの風景に心を和まされ、歌にすることもなくはなかった。これもその一つ。「北の海鯨追ふ子等大いなる流氷来るを見ては喜ぶ」。子どもたちの日常の一こまを切り取った作品だろう。当時は目で追える所までクジラが来ていたのである
▼釧路は古くから捕鯨が盛んで、戦後しばらくは捕鯨基地として捕獲数日本一を誇った「クジラのまち」だった。その栄光再びとなるかどうか。おととい、国内で31年ぶりに商業捕鯨が再開され、釧路港にミンククジラ2頭が水揚げされた。日本は同日、捕鯨反対国が主導権を握る国際捕鯨委員会(IWC)を正式に脱退。伝統の鯨食文化と生活様式を守るため、わが道を行くことにしたのである。山に上りたい船頭ばかりが増えた船を下りて、慣れ親しんだ海に一人戻ってきたわけだ。その意気やよし
▼当日は出港から水揚げまで釧路港は活気にあふれたと聞く。啄木も「さいはての駅」を下り立って最初に見た光景が迫力のあるクジラの水揚げだったら、「さびしき町に歩み入りにき」とは歌わなかったろう。この勢いが続けばいい。