夏目漱石の『吾輩は猫である』では、野良だったネコが住みついた家の主人苦沙弥先生らを子細に観察する。社会規範やしがらみにとらわれないネコの辛辣(しんらつ)な視点が面白い
▼ある日はこんなやり取りがあった。友人が「苦沙弥君などは道楽はせず」と言うと先生の妻が、読みもしない本ばかりたくさん買うくせに、支払いとなると知らんぷりだと文句を並べる。ネコが見ると、「妻君は憮然としている」。文脈から察するに、このとき妻君は夫に対しかなり腹を立てていたと思われる。漱石はそれを表現するのに「憮然」の言葉を使ったのだ。ところがこれは誤用らしい。本来の意味は「失望してぼんやりとしている様子」。文豪の漱石が勘違いしているくらいだから、一般の人が間違うのも当たり前だろう
▼文化庁が先週発表した2018年度「国語に関する世論調査」によると、「憮然」の意味を正しく理解していた人は28.1%だったそうだ。音の響きで怒っているように感じる人が多いらしい。どちらの書き方が良いかとの問いにも意外な答えがあった。「一つ、二つ、三つ」(23.6%)を「1つ、2つ、3つ」(66.3%)が圧倒していたのだ。「一つ」に慣れた者としては違和感が強い。ただ多数派からするとこちらの方が古めかしく感じるのかも
▼「歌は世につれ世は歌につれ」とは昭和の歌番組でよく聞いたせりふだが言葉も同じ。時代を反映して言葉の使い方や意味が変わり、その言葉がまた時代に影響を与える。まあ観察しているとしよう。ときにはネコのような辛辣な目で。