明治日本外交の第一人者といえば欧米列強との不平等条約改正を成功させた小村寿太郎だろう。1901(明治34)年から11年までに外務大臣を2度務めた
▼当時、日露の交渉を見ていた米国務長官ハルはこう評したという。「穏当な譲歩は躊躇せず行い、自国の安全に関する点については断然とその主張を譲らず、その公明にして堅実なる交渉ぶりは(中略)例を見ません」(『日本の偉人100人』致知出版社)。安倍首相が23日、北京で習近平中国国家主席と会談した。トップ外交である。小村と比べるのが適切かどうかは分からないが、話し合いのテーブルに載せられた議題を見ると、首相は言いにくいことも断然と主張したようだ
▼尖閣諸島周辺海域での中国公船の活動自粛を求め、中国で日本人の拘束が続いている現状に懸念を表明。さらに新疆ウイグル自治区での少数民族弾圧について国際社会に説明するよう促し、香港情勢を憂慮していることも伝えた。中国が触れられたくないことばかりである。当然の要求もはっきりとは伝えられない弱腰の外交が多かった過去の首相とはひと味違う。弱い経済や「桜を見る会」問題、複数の大臣の辞任などあまりいいところがなかったことしの首相だが、外交の強さは相変わらずだ
▼中国は首相が主張したからといって「はいそうですか」と応じる国ではない。ただ今回も北朝鮮の完全非核化に向けた連携と、お互い緊密に意思疎通を図っていく点では一致した。小村が首相に点数を付けるとするなら、満点とはいかないまでも合格点は与えるのでないか。