春が近付くとふと口ずさみたくなる歌がある。「春は名のみの 風の寒さや」と始まる『早春賦』(吉丸一昌作詞、中田章作曲)である。子どものころに覚えた歌は不思議と忘れない
▼最終番の歌詞はこんなだった。「春と聞かねば 知らでありしを 聞けばせかるる 胸の思いを いかにせよとの この頃か いかにせよとの この頃か」。聞かなければ分からなかったものを、春と知ると心がせくというのである。本道はことし、この歌とだいぶ趣が違った。誰に聞くまでもなく3月初めから春が来ていたのだ。路地にはまだ少し残っているが街にはもうほとんど雪がない。いつもの年なら早い雪解けを喜んでいただろうに、新型コロナウイルスのせいでうれしさ半分といったところ
▼そんな人の世の事情とはやはり関係なく、桜前線も暖気に押されるように勢いよく北上を続けている。日本気象協会の開花予想(26日)によると、函館の開花は平年より8日早い4月22日、札幌は10日も早い4月23日だという。5月に入ってからは旭川が1日、稚内が7日、釧路が11日といずれも平年より1週間ほど早い。時節柄、桜の名所に大勢で繰り出し飲めや歌えの大騒ぎとはいくまい。濃密接触を避けるため職場の歓迎会さえ満足に開けぬ窮屈な昨今である
▼「たれこめて春のゆくへもしらぬまにまちし桜もうつろひにけり」藤原因香。引きこもっているうちに春は去り桜も散りつつあるというのだろう。平安時代の歌だが、ことしはそんな人も増えそうではないか。「春は名のみの―」。名ばかりの春なら寂しい。