シェイクスピアの作品を読んでいなくとも、悲劇『ハムレット』のこのせりふを知っている人は多いのでないか。「生きるべきか死ぬべきかそれが問題だ」
▼できればそんな局面に立たされたくはないが、運命は時に残酷だ。人に究極の選択を強いる場合がある。難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)に苦しみ、安楽死を願ってSNSで知り合った医師に薬物の投与を依頼した女性も、そう悩んだ末のことだったろう。女性は昨年11月30日、急性薬物中毒で死亡。投与に関わった2人の医師が先週、嘱託殺人の疑いで京都府警に逮捕された。報道によると女性はおととしの春頃から、SNSで安楽死を希望する思いを発信していたらしい
▼生を全うすべきか、安楽死という名の自殺を容認するべきか。まだ日本に合意できる答えはない。文芸評論家本多秋五はかつて論集『芸術・歴史・人間』で自殺を肯定的に捉えこう記していた。「生命が死にも劣る状態に置かれるのを耐えがたく思えばこその自殺ではないか」。反対の見方もある。劇作家の倉田百三は知人が重度の肺結核を悲観して自殺した現場に遭遇。温かさの残る手を握ったとき、「生に対する無限の信仰と尊重とを抱いて立つとき自殺は絶対的の罪悪ではあるまいか」(『愛と認識との出発』)と感じたそうだ
▼難しい。ただ女性も一人で抱え込むのでなく周りの人と共に考えられたらよかった。ALSでも前向きに生きる人はたくさんいる。そうなれたかもしれないのだ。手を貸した医師は最初から死なせる方にしか関心がなかったとしか思えない。