童謡詩人金子みすゞの作品の一つに「こころ」がある。母親と自分の心の内奥を真っ直ぐに見つめるまなざしが強く印象に残る一編だ。前半は「お母さま」について静かに語っている。その二節を引く
▼「お母さまは 大人で大きいけれど、お母さまの おこころはちいさい。だって、お母さまはいいました、ちいさい私でいっぱいだって」。お母さまの心が小さいのではない。みすゞへの愛情が大きすぎるのである。こちらの母親の心は子どもさえ入らないほど本当に小さかったのかもしれない。虐待を受けて衰弱死したとされる池田詩梨(ことり)ちゃん事件の裁判でおととい、保護責任者遺棄致死の罪に問われている被告の母親に懲役14年が求刑された。懲役の長短はともかく、裁判の経過を知り暗たんたる思いにとらわれた人は少なくないのでないか
▼たった2歳の子どもが生きる力を保てないくらい衰弱して亡くなったのは明らかなのに、実の母親も交際相手の男も共に無罪を主張して譲らないのである。母親は吐いた食べ物を喉に詰まらせての窒息死で虐待による衰弱死ではないと言い、地裁で懲役13年の判決を受け控訴した交際相手も傷害を否定。これでは詩梨ちゃんが亡くなった後も、なお虐待を続けているようなものだろう
▼詩はこう続く。「私は子供で ちいさいけれど、ちいさい私の こころは大きい。だって、大きいお母さまで、まだいっぱいにならないで、いろんな事をおもうから」。詩梨ちゃんがどれだけ大きな心で頑張って耐えて元気に振る舞おうとしていたか。なぜ気付かない。