ひと昔前の推理小説では犯罪を成功させるため相手を睡眠薬で眠らせる手がよく使われた。こっそり飲食物に混ぜ意識を失わせた上で盗みを働いたり別の所に運んだりするのである
▼明智小五郎が活躍する江戸川乱歩の『妖星人R』にもこんな一節があった。「ゆうべ、睡眠薬の入ったコーヒーでねむらされたのは、われわれ警官だけで、館長や事務員は、ねむったといっていたが、じつはねむったのではなかった」。そこまで深く眠らせるとなると現実にはかなりの量が必要である。小説のようにはいかない。ただ睡眠成分の入った鼻炎薬などを服用し、猛烈な眠気に襲われた経験のある人は多いだろう。その作用が車を運転している最中に起きたら一大事だ。慎重に扱うべき薬であることは間違いない
▼それが水虫薬に混入していたというのだからうかつな話である。製薬会社「小林化工」が製造した治療薬を使い、健康被害を訴える人が相次いでいるのだとか。首都圏で1件の死亡例も報告されているという。製造中に原料を継ぎ足す際、誤って睡眠導入剤成分を加えたらしい。これまで31都道府県の364人に処方されたことが分かっている。服用後にふらついたり意識を失ったりする人が続出し、交通事故を起こした人までいたそうだ
▼いつもの薬にまさか睡眠導入剤が紛れ込んでいるとは誰も考えまい。出荷前検査で異物混入を示すデータが出ていたのに、会社が品質確認を怠っていた疑いも浮上している。命を左右する製薬。微に入り細をうがつ明智小五郎のようなチェックがなぜできなかったか。