絶対に開けて見てはいけないと言われると逆に開けて見たくなるのが人情というものである。「古事記」や「鶴の恩返し」にもその物語構造が使われているところをみると、古くからの性質なのだろう
▼この手の話で最もよく知られているのはギリシャ神話の「パンドラの箱」。パンドラは開けてはならぬと神に命じられた箱を好奇心に勝てず開けてしまう。すると中に入っていたあらゆる災厄が地上に飛び出すのだ。今回〝お上〟が開けて見てはいけないと覆いを掛けてあった箱を開けたのは『週刊文春』である。すると総務省幹部が民間会社から接待を受け続けていた事実が、次から次へと飛び出した。許認可や監督権限を持つ官と民の癒着の実態である
▼きっかけこそ菅首相の長男が絡む「東北新社」の接待だったが、新たに通信大手NTTも会食していたのが明らかになり、騒ぎは拡大する一方だ。他の通信、放送関連会社もいつ名前が出るかと戦々恐々でないか。国会も連日、この問題で持ち切りである。焦点は当初の政治利用から総務省幹部の〝ごっつぁん体質〟に移ったようだ。各省庁が利害関係者の接待には応じなくなっている中でのこの体質。異様というほかない。総務省は15日、通信分野の職員全員を対象に関係者との会食の有無を調査する方針を決めたそうだ
▼ご存じだろうが「パンドラの箱」の話には続きがある。悪いものが全て出尽くした後には「希望」だけが残るのだ。総務省も手心が加わらぬよう第三者組織でもつくり、うみを出し切るべきだろう。希望が見つかるかもしれない。