文学には昔から母を恋う作品が多い。包まれ、守られてきた子どものころの温かい思いが忘れられないからだろう。詩人の中島和子さんにも「ふるさとには」の一編がある。二つの節の対比が、深い哀愁を醸し出す。こんな詩だった
▼「ふるさとには なんにも ない 山と 川と 空のほかには だけど 母さんが いる ふるさとには なんでも ある 夢と 友と 思い出がある だけど 母さんが いない」。「母さん」がそこにいるかいないかで、ふるさとの見方はまるで変わってしまう。多くの人の実感するところでないか。だとするとこれは由々しき事態である。国際養子縁組を数多く手掛けていた団体「ベビーライフ」の行方が突然分からなくなったという
▼東京都に去年、事業停止を申し出てから、子どもの実の親や成長の記録など大切な文書をどこにも引き継がないまま連絡が取れなくなっているそうだ。何の対処もできなければ、将来、子どもが願っても出自がたどれなくなるかもしれない。あっせん先はほとんど米国とカナダだが、提携していた現地の団体も事業を停止していた。悪質である。言語も文化も違う国に養子に出す国際縁組は継続的な支援が重要とされるが、これでは糸が切れたも同然。しかも里親の所で虐待や人身売買があっても知るすべがない
▼縁組された子どもは生い立ちを知ることで自分を確立していくという。手放さざるを得なかった「母さん」たちの事情も、いつかは理解する必要があるのだ。子どもたちからふるさとを奪ってはいけない。あまりに無責任だ。