ロシアのカムチャツカ半島を舞台にした小説『消失の惑星』(ジュリア・フィリップス、早川書房)を読んで、ソ連時代を長く経験した高齢女性の考え方に少なからず意外の念を覚えた
▼女性は外国人労働者が多い現状を嘆き、昔を懐かしんで近所の若い母親にこうぼやくのである。「この集合住宅も、わたしたちみたいなきちんとした人ばかりだったのよ。本物のロシア人だけが住んでいた。国中がそうだったの」。そこまではまだ分かる。高齢者は変化を嫌うものだ。ぼやきはさらに続く。「同じ理想を掲げて団結して、偉大な国家を信頼していた。いまとは全然ちがう時代だったのよ。素晴らしい時代だったんですから」。一党独裁の社会主義国家を絶賛するのである
▼これは小説だが、現実にそう思っている人も少なくないのでないか。プーチン大統領が5日、任期を2036年まで延長できる法案に署名した。いくら豪腕で鳴らす氏でも、失われた過去に憧憬を抱く国民がいなければ通せない案件だろう。大統領に就任して既に20年。今68歳だからあと15年となるともはや永世でないか。国民投票の裏付けがあるにしても、民主主義国ではまず見られない光景だろう
▼小説の中で姉が妹に象徴的な伝説を語っていた。町が丸ごと波に飲まれる話だ。住民は水の中で息をこらえている。波は町を遠くに運び、はじけた。姉は教える。「波は消えちゃったの。みんな寒くてぶるぶるふるえたけど、自由に動けるようになった」。やっと得た自由に心地の悪さを感じる人がロシアで増えているとしたら危うい。