貧しくて就学できない若者たちのための遠友夜学校創立や『武士道』の著書などで知られる新渡戸稲造でも、若いころは人物の評価を間違うことがあったらしい
▼新渡戸は傑出した人物の多い札幌農学校の二期生だが、同期の廣井勇をじっくりと観察した上で、「高尚な言葉や大言を好む」と見て「ズル」「ズルッコ」と呼んだという。『ボーイズ・ビー・アンビシャス 米欧留学編』(二宮尊徳の会)に教えられた。日本の土木技術の礎を築いた廣井はもちろんそんな男ではない。金がかかる会合に出ず、粗末な服装で過ごし、友人に守銭奴と言われながら資金を貯め、二期生の中で一番早く米国留学を実現した。一日も早く欧米の進んだ技術を習得したいと熱望していたのだ
▼廣井は米国で修行した後、ドイツでも学ぶ。有言実行ならぬ大言実行を知った新渡戸は「彼は気高い奴です」と評価を改め、「ズル」というあだ名も使わなくなったそうだ。実際、生涯懸けて国民に無私の貢献をした人だったのである。高知の建設関係者有志でつくる「廣井勇を顕彰する会」が先月、出生地の佐川町に廣井博士の銅像を建立したのを本紙4月15日付で知った。同じ二期生でも新渡戸や内村鑑三と比べ功績があまり知られていないのを残念に思い、計画を進めていたという
▼札幌農学校教授時代の1890年に造った今も現役の小樽港北防波堤をはじめ、国中に博士の仕事が残る。最も大きな成果は教育者としてインフラを支える多くの優れた技術者を育てたことだろう。高知に行った折にはぜひ銅像を訪ねてみたい。