「50年、100年後に残るものを造りたい」
10日に着工した東神楽町複合施設整備の基本設計を手掛けた建築家・藤本壮介氏が町内で会見を開き、施設の概要を説明した。藤本氏は建物のコンセプトを「記憶に残る一つの風景」と述べ、周囲の自然環境との一体感や利用者が遊歩できる流動性の高さを強調。「50年、100年後に残るものを造りたい」と、出身地への貢献も口にした。(旭川支社 松藤岳記者)
藤本氏は1971年生まれの49歳で、少年時代を町内で過ごした後、東大工学部建築学科で学んだ。武蔵野美術大の図書館・美術館など国内外で建築物の設計を担っていて、2025年の大阪万博では会場デザインプロデューサーを務める。
―複合施設のコンセプトは。
建設場所は東神楽の中心部にあり、町内の人が歩いて訪れるのを想定している。既存の役場や図書館に加え、ホールやカフェ、会議室などいろいろな機能を持つ。バラバラの大きさの建物が建ち並ぶことになるが、一つの建物にガチガチに固めて重々しさが出ることを避けたかったためだ。
あえて正面玄関を造らず、円環状の回廊で建物をつないだ。回廊には多数のエントランスを設けた。多方向から出入り可能で、散歩のついでに通り抜けもできる。歩き回って楽しく、ちょっとの用事でも立ち寄れる、日常の一部になる場所が町の中心にふさわしい。
外周には円環状に並べた樹木を植えて、東神楽の美しい風景との統一感を作り出す。ちょっとした森が町の中にできたような印象を与えると思う。あの居心地のいい森に集まろうとみんながイメージでき、記憶に残る一つの「風景」をつくれないかと考えた。
―町で過ごした思い出は。
小学2年生から高校卒業まで過ごした。まさに自分の人間性を育んでくれた町だ。高台に実家があって雑木林でよく遊んだことや、田んぼの向こうに見えるカラマツ林が原風景になっている。
木立の向こうに役場が見えるという建築物は世界的にも例がないと思う。これが東神楽という町自体を想起できるような施設になれば、新たな時代を示唆する素晴らしいものを発信できる。
どのような設計にするかという技術的な問題だけでなく、自分の町に50年、100年残るものを造りたいという責任感を持っている。施工にも監修という形で携わり、出来上がってからも利用の仕方の考案などに関わることで、建物がどう「育つ」のかを見守っていく。
―建築設計で心掛けていることは。
設計の仕事はその土地柄、培われた文化、生活の雰囲気を丁寧に見る作業だ。耳を澄ますと言ってもよい。20年間積み重ねてきた仕事で、それが一番肝要だと考えている。
今回は地元のよく知った場所とは言え、先入観が入れば単調なものとなることを危惧していた。やはり基本に立ち返って町の人の話を聞き、既存の建物や地形を観察するところから始めたのは良かったと思う。
人々が快適に過ごし、行ってみたいと思う場所をつくるのは、建築家として常に意識していること。これまで蓄積してきた経験を反映させたい。
(北海道建設新聞2021年6月15日付12面より)