脚本家の向田邦子さんは、自身が手掛けた多くのホームドラマの中でも特に視聴率の高かった作品の茶の間には、同じ特徴があると気付いたそうだ。エッセー「テレビドラマの茶の間」に記していた
▼「申し合わせたように、せまくて小汚い日本式のタタミの部屋だった」らしい。現実の世の中では洋風のリビングが主流になって久しいのに、視聴者がドラマに求めたのは、雑然とした畳敷きの茶の間だったのである。皆が気楽にいられる場だから、が向田さんの答え。作曲家の小林亜星さんはそんな茶の間によく似合っていた。向田さん脚本の『寺内貫太郎一家』(1974年、TBS)で頑固おやじを演じたのである。息子役の西城秀樹さんと茶の間で繰り広げる大げんかが毎週のお約束だった
▼その亜星さんが5月30日、東京都内の病院で亡くなっていたという。88歳だった。超が付くほどの人気作曲家なのに、テレビ番組で拝見する限り「アーティストでござい」と気取るようなところはかけらもなかった。CMソングからアニメ主題歌、歌謡曲まで、記憶に残る曲がたくさんある。日立グループの『この木なんの木』、子どもが大喜びした『ピンポンパン体操』、都はるみさんの『北の宿から』
▼雑誌『新潮45』(新潮社)のインタビューに以前、こう話していた。「歌は人とのコミュニケーションを願う祈りなんです」。亜星メロディーが深く心に染みるのはそうした祈りが込められているからだろう。古き良き昭和の茶の間は消えても、亜星さんの曲が消えることはない。「どこまでも行こう~」。