東京の子どもたちの日常を描いた『たけくらべ』(1895年)で知られる小説家の樋口一葉は、お金に苦労する一生を送った人だった。父と兄が相次いで死に、17歳で戸主になったためである。それだけにお金の怖さや、それに操られる人の醜さもよく分かっていたようだ
▼日記にこう記している。「利欲に走れる浮世の人あさましく、厭はしく、これ故にかく狂へるかと見れば、金銀は殆ど塵芥の様にぞ覚えし」。お金に目がくらみ、それまでは普通に生きていた人が別人のようになってしまう例はいつの時代もあるものだ。欲まみれになっても人に迷惑を掛けないならまだいいが、悪事に手を染める人も少なくない。今回の事件はその典型だろう
▼新型コロナウイルスの感染拡大により売り上げが落ちた中小企業などを支援する国の家賃支援給付金をだまし取ったとして、経済産業省のキャリア官僚2人が詐欺容疑で逮捕された。「盗人を捕らえてみればわが子なり」のことわざを地でいくような事件である。2人は不正受給のために東京都文京区を所在地とするペーパーカンパニーを立ち上げ、神奈川と都内の実家や自宅を事務所と偽って給付を申請した。役割分担を綿密に相談し、証拠データは周到に消すなど悪質さが目立つという
▼給付金は同省が所管する事業。2人は制度を熟知していた。生活に困っている人を助ける実務を担う組織の中に、その大切なお金を横からかすめ取る者がいたわけだ。金銀でなく、その者たちがちりあくたと呼ばれても仕方ない。これ以上にあさましい行為があろうか。