昨今は〝キラキラネーム〟と呼ばれる独創的な名前も珍しくなくなったが、昭和の時代はある程度型にはまったものが多かった。姓名の名の方の話である。例えば男なら「清」「博」「茂」あたりだろうか。女なら「和子」「洋子」「静子」が思い浮かぶ
▼勢い身近に数人の「博」がいるということもしばしば。いささかやりずらいのが、学級や職場に同じ名前の人がいる場合である。覚えのある方もいるのでないか。声を掛けるとき下の名前を使うことは少なくない。クラス替えでたまたま「キヨシ」が2人そろうと、どちらもそう呼ばれてきただけに若干の混乱が起きる。「キヨシ」の名を聞いて2人が同時に振り向いたりするわけだ。言った方も反応した方も少し気まずい思いをする
▼まあ問題は大抵そう長くは続かない。面倒になった誰かが名字と組み合わせ、一方を「マツキヨ」と言い始めるなど新たな呼称が生まれるからである。両者共に「キヨシ」にこだわり混乱が長引くより、その方がずっといい。立憲民主党と国民民主党にはそんな単純なことも分からなかった。先の衆院選で比例代表の略称をいずれも「民主党」と届け出、互いに譲らなかったのである。有権者の多くは最初から〝こんなばかげた話もない〟とあきれていた
▼さて、どうなったか。「民主党」と書かれた票が全国で200万票あった事実が先頃判明した。それだけの票が丼勘定で分けられたことになる。本来なら1票もたがえず各党に配分される貴重な票だ。両党反省しているというがこけにされた有権者の不信は消えない。