近代詩に新たな境地を開いた詩人萩原朔太郎の娘で小説家の萩原葉子が、父の思い出を「晩酌」と題するエッセーに記していた。葉子さんがまだ子どもだったころの、父との何気ない交流のあれこれである
▼こんなほほ笑ましい情景もあった。「父はお膳に肘をついて、右手で不器用にお銚子を傾けては、ゆっくりと飲むのだが、私を見るとたいてい『葉子、お酌してくれ』という」。どこにでもある一コマでないか。いったん詩作に入るとしばらく顔も合わせないため、たまにお酒の相手をさせられるのが大層照れくさかったそうだ。ただ、葉子さんがあえて選んだこの思い出からは父を慕う気持ちがうかがえる。朔太郎も娘をかわいがっていたのだろう
▼そんな当たり前の温かな日常がかつて、拉致被害者の横田めぐみさんと再開を信じて待ち続けた父の横田滋さんにもあったはずだ。願いがかなわぬまま滋さんは昨年6月に力尽き、そして今度は田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんである。18日に亡くなった。このところ高齢の拉致被害者家族の死去が相次ぐ。横田さんが87歳、飯塚さんは83歳だったという。北朝鮮から娘を、妹を救い出せずに世を去らねばならなかった無念は察するにあまりある
▼飯塚さんは11日に体調を崩して退くまで14年にわたり、家族会代表として被害者救済に力を尽くした。自らの命を削って先頭に立ち続けたのだ。いたずらに慌ててもいけないが、時間がないのは確かである。一人でも多くの被害者が早く家族との当たり前の日常を取り戻せるといい。墓前に立つのではなく。