本道の鉄道敷設に力を尽くした土木技術者田辺朔郎が、函館―小樽間鉄道踏査のため札幌を発ったのは1898(明治31)年正月早々だったという。『北海道浪漫鉄道』(田村喜子、新潮社)に教えられた
▼シベリア鉄道の東方延伸でロシアの脅威が急速に高まり、政府が札幌に陸軍第7師団を設置したころだった。開拓を加速させるためだけでなく、軍事戦略の上でも鉄路の確保が喫緊の課題になっていたのである。財政難の政府に代わり、道庁長官も務めた北垣国道らが起こした私設の北海道鉄道会社(函樽鉄道)が建設を担った。官設が基本の当時としては異例だったらしい。全線開通を見たのが1904(明治37)年。以来120年近く本道の発展を支えてきた
▼その歴史に幕が下ろされる。2030年度の北海道新幹線札幌延伸に伴いJR北海道から経営が切り離される並行在来線函館線のうち、長万部―小樽間(140・2㌔)の廃止が決まったそうだ。沿線9市町村と道が27日、苦渋の決断を下した。筆者も子どものころは余市方面への海水浴で、学生時代はニセコ連峰への登山でよく利用させてもらった思い出がある。日々の仕事や生活で足代わりに使っている方々にとっては殊更寂しく、身を切られる心境に違いない
▼第3セクターで存続させようにも採算が取れず、財政負担が重すぎるためバス転換しか選択肢はなかったようだ。最近はまたロシアが隣国への野心を強めているが、さすがにもう軍事戦略上、鉄路が重要な状況でもない。せめて住民に不便が生じないことを願うばかりである。