小説家で雑誌『文藝春秋』を創刊したジャーナリストとしても知られる菊池寛の歴史エッセイ「大衆維新史読本」に、新撰組局長近藤勇に触れた一節があった
▼惨敗を喫し組壊滅寸前に追い込まれた鳥羽伏見の戦いの後の様子である。「その後色々と画策したが、一度落目になると、する事なす事後手となって、甲州勝沼の戦に敗れ、下総流山で遂に官軍の手に捕へられた」。肩で風を切る往時の面影はどこにもない。官軍に抵抗する勢力として京都で活動したが、最初から時代の流れには逆行していた。負けが運命付けられていたともいえる。菊池寛はこう評した。「人間も落目になれば、考へも愚劣になる。甲陽鎮撫隊で大名格にしてもらひ、故郷へ錦を飾つた積りの穉気振りなど、往年の近藤勇とは別人の観がある」
▼歴史は繰り返すというが、政党名をその新撰組にあやかったからといって、落ち目になったときの行動まで同じ轍を踏むこともないと思うのだが。れいわ新選組の山本太郎代表のことである。きのう、今夏の参院選出馬のため衆院議員を辞職した。昨年10月の衆院選で議席を獲得してまだ半年。違法でないとはいえ誠実さに欠ける行為だろう。政治の暴走を止める勢力を増やすというが、自分の暴走は止められなかったようだ
▼結党した2019年には支持率が1.2%(NHK世論調査)あったものの、最新の調査では0.2%まで下落。少ない支持者を参院選で使い回そうとの意図が見え隠れする。山本代表も高い志を掲げて政治家に転身したのではなかったか。往時の面影はどこへ。