大正期に活躍した医学者、推理作家の小酒井不木は短編小説『死の接吻』(1926年)の冒頭で、ある夏の東京のひどい暑さについてこう触れていた
▼「その年の暑さは格別であった。ある者は六十年来の暑さだといい、ある者は六百年来の暑さだと言った」。当時の中央気象台の観測で、最高気温は華氏120度だったと記している。摂氏に換算すると48・9度にもなるため、さすがにそこまでのことはあるまい。とはいえ「熱射病に罹って死ぬものが日に三十人を越した」というのだから、それまで経験したことない暑さではあったのだろう。倒れた人も相当な数に上ったはず。熱中症の恐ろしさは今も昔も変わらない
▼経験がないといえば、ことしの早過ぎる暑さも同様である。総務省消防庁の発表によると、6月に熱中症で病院に搬送された人は全国で1万5657人、死者17人に上り、統計を取り始めた2010年以来最も多くなったそうだ。これまでの最高が11年の6980人だから、倍以上である。近年は「ゲリラ豪雨」への注意が呼び掛けられているが、いよいよ「ゲリラ熱射」の心配までしなければならないらしい。昔なら数年か数十年に一度だった異常気象が毎年のように出現する。しかも人々が予測もしていない時期に突然襲ってきたりするからたちが悪い
▼これも地球温暖化の影響だろうか。本道も蒸し暑い日が続く。しばらくは日本中で熱中症への警戒が必要なようだ。梅雨明けの早さも異例だったが、以降、各地で大雨やひょう、雷による被害も相次ぐ。身を守る行動をぜひとも。