最初の真剣さを忘れて慢心するなと伝えたいとき、「初心忘るべからず」の言葉がよく使われる。能楽の大家世阿弥の教えだが、元の意味は違ったらしい。現役能楽師安田登さんが『野の古典』(紀伊國屋書店)にこう記していた
▼「初」の原義は布地に初めて刀を入れること。美しい着物作りも裁つところから始まる。「自分が変化しようと思ったら、まずは過去の自分自身をバッサリ切り捨てなければならない」。芸を極めるなら血を流してでも現状を変えていく意志が必要、というのが世阿弥の意図だったのである。スポーツ選手の枠に収まりきらず、求道者、芸術家とも呼びたくなる人だからか。フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌と冬季五輪2連覇を成し遂げた羽生結弦選手(27)の19日の記者会見を見て、それを思い出した
▼羽生選手は冒頭に「プロのアスリートとしてスケートを続けることを決意しました」と宣言。競技者としての自分を捨て、新たな高みへ挑戦する覚悟を語った。羽生選手といえば平昌が多くの人の目に焼き付いていよう。大会3カ月前に右足首を負傷。練習も十分でないまま臨んだ本番での鬼気迫る演技は圧巻だった。北京五輪では表彰台こそ逃したものの、世界で初めて4回転アクセルが認定された
▼観客を魅了する美しさを「華がある」という。世阿弥にはこんな言葉もあるそうだ。「住する所なきを、まづ花と知るべし」。とどまらず変化し続けることこそ、花の神髄だというのである。まさに羽生選手。次はどんな花をわれわれに見せてくれるのか。