人生はいいことばかりあるわけでもないし、悪いことばかり続くわけでもない。若者にそう教えると、おじさんが「イキって」また何か「キモい」話を始めたと迷惑がられるに決まっているが、ある程度年齢がいった者にとっては長年の経験に裏打ちされた事実だろう
▼ことわざにも「禍福はあざなえる縄のごとし」とある。不幸続きの人を励ますための方便として使う場合が多いとはいえ、若干の気休めにはなろう。小説家の太宰治も、心酔する井原西鶴の作品を独自の視点で書き直した短編集『新釈諸国噺』の主人公の一人にこう言わせていた。「夜の次には、朝が来るんだ。冬の次には春が来るさ。きまり切っているんだ。世の中は、陰陽、陰陽、陰陽と続いていくんだ。仕合わせと不仕合わせとは軒続きさ。ひでえ不仕合わせのすぐお隣は一陽来復の大吉さ」(「粋人」)
▼大層な借金を持つ旦那の台詞だから、どんな状況に置かれていたかは推して知るべし。借金取りがここぞと勢いづく年末の話である。ご存じの通り一陽来復は冬至の別の名。きょうがその日である。一年で最も夜が長いきょうを境に、日の光がまた力を取り戻していく。「一陽来復この一族に恙無し」森幸子。その気持ちがよく分かる
▼ことしは特にこの節気をわが身の境遇になぞらえ、運命の好転を願う人も多いのでないか。いつもに増して気の休まらない一年だった。きょうはおいしくカボチャを食べるもよし、ゆっくりゆず湯に漬かるもよし。冬至を乗り切る縁起物に触れ、「ひでえ不仕合わせのすぐお隣」に引っ越したい。