国境に縛られることなく大空を自由にかけ、自分の行きたい所へ飛んで行く。昔から人は渡り鳥にある種の憧れを抱いていた。和歌や俳句の題材によく使われているのが、その一つの表れだろう
▼俳句では秋の季語になる。例えば松尾芭蕉。「日にかかる雲やしばしの渡り鳥」。日の陰りを感じてふと空を見上げると、渡り鳥の群れだったというのである。正岡子規にも「とりつくや日本の山へ渡り鳥」の句があった。俳句は一瞬の風景を切り取って見せるが、和歌には情感の込められたものが多い。古今和歌集に紀友則の一首がある。「秋風に初雁がねぞ聞こゆなるたがたまづさをかけて来つらむ」。雁の声が耳に届いた。いったい何の便りを運んできたのか、というのである
▼そんな風情をいつまでも楽しんでいたかった。渡り鳥が運んでくるもので最近多くの人が気にしているのは、鳥インフルエンザウイルスである。国内の感染拡大が止まらない。処分されるニワトリなどの数が過去最多を記録したそうだ。昨年10月に本道の厚真町と倉敷市で発生が確認されてから、異常な勢いで全国に広がっている。農林水産省のまとめによると、10日に宮崎県川南町の養鶏場でも新たに発生が確認され、処分される個体は1008万羽になったという。1シーズンで1000万羽を超えるのは初めてというから深刻な事態である
▼どの養鶏場も守りを固めてはいるものの、相手が自由に飛び回る渡り鳥では完璧を期すのも難しい。子規の「とりつくや日本の山へ渡り鳥」も、今は何やら恐ろしい句に聞こえてしまう。