1951年から塗装工に従事し、技術向上と安定した経営を実践してきた。日本塗装工業会(日塗装)の北海道支部長や上川地方技能訓練協会の副会長も務め、業界の社会的地位向上や若年技能者の指導にも汗を流してきた。
35年、東京・世田谷生まれ。父である定吉さんは30年から都内で塗装工に従事していたが、東京大空襲を契機に兄の住む旭川へ移住。9歳の目に映った火の海の光景は、今でも鮮明に覚えているという。
中学校卒業を目前にしたころ、父から「のぶ、塗装屋やってみるか」と尋ねられた。手に職を持っていれば食いっぱぐれないだろう―と思い、塗装工として頑張ることを決めた。
63年に「株式会社瀬尾塗装部」として法人化する。竹中工務店の下請けで仕事をするようになった時、同社の惜しみない施工品質へのこだわりに強い感銘を受けた。
「との粉を油と混ぜて粘土状にし、それをへらでラワン合板に塗り付け、紙やすりで研ぐ。仕上げは耐水ペーパーで水研ぎ。そうすると鉄のようにピカピカの木製扉ができる。そんな技術を望むのは竹中ぐらいだった」
78年に社長就任。公職も多くなり、翌年には旭川塗装工業協同組合理事、2000年は理事長を務めた。日塗装との関わりも増え、02年からの4年間は北海道支部長として、業界の技術向上や経営の安定化に取り組んだ。
そうして活動できた背景には、家族はもちろん、片腕となって支えてくれた粂田睦郎専務と堀利男常務の存在が大きいという。「2人がいたからこそ、表へ出て組合や日塗装の仕事ができた」と瀬尾社長。
「建物をきれいにするだけでなく、守るのが塗装工の役割。これからの人たちには、もっともっと色とりどりの街並みを築いてほしい」と話している。
(2015年11月13日掲載)