放浪しながら形式にとらわれない自由律俳句を生み続けた俳人種田山頭火の作品には、孤独感を色濃くにじませたものが少なくない
▼よく知られた句がある。「分け入っても分け入っても青い山」。1925(大正15)年、何をやってもうまくいかず、苦しみから逃れようと出家し行乞(ぎょうこつ)の旅に出た当時の一作である。寄る辺ない一人きりのわびしさと、先の見えない自由が共に感じられる句ではないか。子どものころに母を自殺で失った経験が終生消えぬ心の傷となり、それがさすらいの人生を歩むきっかけの一つになったという。こんな句もある。「ひとり山越えてまた山」。胸に開いた大きな穴を埋めるには、自分に苦行を課し続けるしかなかったということだろう
▼宗谷森林管理署のカメラが先週捉えた利尻島に上陸したとみられるヒグマの写真をニュースで目にして、その山頭火を思い出した。こうべを垂れて林道の右端を静かに歩くヒグマの後ろ姿が、何とも哀愁を帯びて見えたのである。島にヒグマが現れたのは106年ぶりのことだという。雌の争奪戦に敗れた雄が海を泳いで渡ってきたとの説もあるが、本当の理由は「彼のみぞ知る」だ。ヒグマの世界にだっていろいろ事情があろう
▼利尻、利尻富士両町の「ヒグマの痕跡状況」によると、ほぼ島全域をさまよっている様子。まさに「ひとり山越えてまた山」の趣である。これでは住民の方々の気も休まるまい。かといって探し出して駆除というのも気が引ける。もう一度「ひとり海越えて」お帰りいただくのが一番いいのだが。