落語家は噺の途中に本筋と直接関係ない小話や決めぜりふを入れることがよくある。はまれば観客は盛り上がり、話す方にも勢いがつくからだろう。桂枝雀の「すびばせんね」には何度も笑わされた
▼「道灌」の落語にはこんな小話が挟まれるそうだ。太田道灌が徳川家康に城を売ったと聞いた人がこう言った。「それなら随分と買いたたかれたでしょう」。一体どうして、と尋ねると、「だってイエヤスですから」。家康の居城江戸城の起こりが、扇谷上杉家の重臣太田道灌の築城だったとの史実を踏まえての小話というわけ。家康は開府直後から江戸城の大規模改築、いわゆる天下普請を始めている。まだ権勢を保っていた豊臣家との戦いに備えると同時に、工事費用を出させて諸大名の力を抑えるためだったと聞く
▼その築城当時の貴重な資料が松江市で見つかったそうだ。同市が8日発表したところによると、それは「江戸始図」と記された、江戸城を描いた現存する絵図の中でも最古級の平面図だという。絵図が詳細なことで新たな発見もあったようだ。大小の天守が連続する「連立式天守」だったことや、出入り口の壁を複雑に入り組ませて敵の一斉侵入を防ぐ「5連続外枡形」構造にしていたことである。どうやらこれまで知られていた以上に堅固なとりでだったらしい
▼時代劇の大道具さんも新たなセット作りに腕が鳴るのではないか。何せ天守群は姫路城と同様の壮麗な形式だったことが裏付けられたのである。落語の舞台である江戸の街から見上げた姿も見事なものだったに違いない。