小欄で度々取り上げている江戸時代後期の経世家二宮尊徳は、きのう4日(旧暦7月23日)で生誕230年を迎えた。その思想を聞き書きした『二宮翁夜話』には今も教えられることが多い
▼最近だとこんな例えが、現実感を伴い鋭く迫ってくるようだ。何をしてもうまくいかないとの相談を受けた二宮翁の答えである。「夫汝が願ふ所は瓜を植えて茄子を欲し、麦を蒔て米を欲するなり。願ふことならざるに非ず」。あなたは別の作物を植えておきながら、欲しいものができないと悩んでいる。誤った方法を選んでいてはうまくいかないのも当たり前。ナスを実らせるにはナスの種が必要なように、期待した成果を得るにはそれに見合った行動が欠かせない。翁はそう諭したのである
▼残念ながら金正恩朝鮮労働党委員長はいまだこの真理に気付いていないようだ。北朝鮮が3日、再び核実験を強行した。国際社会、とりわけ米国に認められるには、核兵器を保有するしかないとの妄念にとらわれているのだろう。世界に存在感を示す方法なら他に幾つもある。国内産業の育成、内需拡大、善隣外交、貿易を軸にした相互経済協力―。それらを選べば時間はかかってもどこからも文句がでないばかりか、名指導者として評価も高まろう。もちろん拉致問題の解決は前提だが
▼ところが北朝鮮がしているのはコメが欲しいのにムギどころか脅迫の種をまき、怒りを実らせているだけ。しかも今回はICBM用の水爆実験で危機の段階を一気に引き上げた。北朝鮮の「願ふこと」はさらに遠ざかってしまったろう。