真砂徳子の起ーパーソン 風をおこす人々 第2回 「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長 横山 むつみ(よこやま むつみ) さん

2012年08月10日 14時11分

 「アイヌ神謡集」の著者、知里幸恵(1903~22年)は、アイヌ民族の口承叙事詩カムイユカラを、初めてローマ字で表記し日本語で対訳を果たした人物です。2010年秋、幸恵の生家があった登別市に、「知里幸恵 銀のしずく記念館」がオープン。幸恵の遺品や資料を中心に、アイヌ文化継承に尽力した先人に関わる約100点が展示されています。横山さんは「アイヌ文化が伝える普遍のメッセージを受け取る〝手がかりの場〟になれば」と話します。

★記念館の建設費は全て民間の寄付によるものだそうですね。国内はもとより海外からも来館されると伺い、知里幸恵の偉業とアイヌ文化への関心の高さを知りました。

横山 むつみさん

☆横山 幸恵が生きた時代は、同化政策が進められ、日本語の強制でアイヌ語は禁止も同然でした。アイヌ語しか話さない祖母に育てられた幸恵は、アイヌ語を受け取り、日本語にも長けていました。15歳のころ、来道された金田一京助先生(アイヌ語研究で知られる言語学者)に、アイヌ民族に伝わるユカラは、世界五大叙事詩に含まれるほどなのだと教えられます。後の神謡集刊行につながる出会いでした。アイヌ神謡集は、口伝えのアイヌ語をアイヌ民族の発音に添うローマ字で表記しています。対訳も誰もが読める比較的平易な和文で、学術的にも貴重なものです。

 11年前、アイヌ語地名のフィールドワークで登別を訪れた小野有五さん(現北大名誉教授)が、幸恵のお墓参りにいらした際、もっと広く知らせましょうと発起くださって。以来、幸恵の没日(9月18日)前後の日曜日にイベントを開催するなど草の根的な取り組みが始まりました。2002年には、有志で知里幸恵記念館建設募金委員会(代表は作家の池澤夏樹氏)が発足。全国2503名もの皆さんから3000万円以上のご寄付をいただき、建設がかないました。運営スタッフはNPOのメンバーのボランティアに、運営資金は700名ほどの友の会会員の皆さんに支えていただいています。多くの方のご協力で成り立っている活動に、日々感謝しています。

★横山さんは幸恵さんの姪御さんです。ご活動の意義をひときわ深く受け止めていらっしゃるのではないかと想像します。

横山 むつみさん

☆横山 私は伯母と同じ登別で生まれ、その後転居した道南の江差で高校卒業まで過ごしました。江差では唯一のアイヌ世帯。まだ差別や偏見が根深い風潮で、いじめを受けたこともありましたが、幸恵の業績に関心を寄せるまでには至りませんでした。

 進学で上京すると、同世代のアイヌウタリと親交を深めるようになりました。変えられる事は変えていこうよと前向きに話し合える仲間と巡り合えたんです。70年代後半、私は関東ウタリ会に参加。「日本は単一民族国家である」という、いわゆる〝中曽根発言〟に際し、質問状を提出したのも私たちです。マスコミにも取り上げられ、日本は単一民族国家じゃないのだと認知され始めるきっかけになりました。

 アイヌ民族の誇りを継承しようと、熟達しているアイヌの人たちから踊りや刺しゅうを教えていただいたり、イベントでアイヌ神謡集を朗読したり、アイヌ文化も皆で積極的に学びました。幸恵の生涯を描いた「銀のしずく降る降るまわりに」(藤本英夫著)が教科書に掲載され、知里幸恵の名が知られ始めていたころ、東京での活動や見聞で、叔母の偉業を徐々に自覚するようになりました。

 15年前、娘の独立を機に登別に戻ると、各地から幸恵の足跡を尋ねる方々が来訪されて。皆さんの熱心な様子に尻を叩かれるような思いでした。また、偶然立ち寄った道立文学館のユカラのコーナーに、金田一先生など、そうそうたる面々と共に、幸恵や知里真志保(幸恵の弟で言語学者)、金成マツ(幸恵の育ての親)の資料が紹介されているのを目にし、もう少し踏み込んで、身近な人たちのことを広めて行きたいと、目が覚めたような心持ちになりました。

 幸恵は、金田一先生にアイヌ文化の真価を説かれ、生涯をユカラの研究に捧げようと決意します。自身のために、アイヌの人たちのために、金田一先生の役に立つため、学術のために、万国の人たちのために、「アイヌ語をなくしてはいけない」と。幸恵の見事な民族意識と高い志に私はほれてしまったのですね。

★アイヌ神謡集は、英語やフランス語、ロシア語などにも翻訳されています。今や海外にまでも及ぶ広がりに、かつての幸恵さんの決意をあらためて思います。

横山 むつみさん

☆横山 カムイユカラは、カムイ(神)が教えてくれる、いわば、普遍の道徳観を知るものです。そこには、アイヌ民族に限らず、誰にも必要な学びがあるのですね。アイヌ文化への敬意は、特別なことではなく、ごく自然に湧き上がる感覚なのではないかしら。創作や芸術活動などで、その魅力をさらに掘り起こしている若い世代も多く、昨年にはパリのルーヴル美術館で行われたイベントで、アイヌ語のカムイユカラが披露されて。今後の展開に期待しています。

 私は、アイヌ神謡集を遺した知里幸恵の意思が、広く共感いただけるものと信じています。何より、カムイユカラは、娯楽性の高い楽しいお話。記念館を手がかりの場に、アイヌ文化が多くの方と楽しみ合えるものに育って行ってもらえるのであれば、本当にうれしく思います。

取材を終えて

神謡集の世界広がって

 記念館の名称はアイヌ神謡集の有名なフレーズに由来しています。館内には、建築の工夫で、太陽光の反射を活用し銀のしずくが降り注ぐように見える演出もあり、神謡集の世界観が広がっていました。この空間で、幸恵の示唆に富む視点や心の強さ、公平で温かい人となりもくんでいただければと話す横山さん。その柔らかな物腰と真摯な姿勢に、アイヌの心の伝承も感じたインタビューでした。


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