真砂徳子の起ーパーソン 風をおこす人々 第23回 ばんえい十勝調教師 谷 あゆみ(たに あゆみ)さん

2013年07月05日 15時54分

 北海道の開拓時から、農閑期の祭事などで行われていた農耕馬の力比べに由来するばんえい競馬。「北海道の馬文化」として「北海道遺産」にも認定されています。かつては、勝馬投票券(馬券)の発売額がおよそ323億円(1991年度)にも上る人気でしたが、不況で地方競馬の収益が軒並み悪化し、2006年度には、巡回開催4市のうち、旭川、北見、岩見沢が撤退。残る帯広も続行に難色を示し、存廃問題が浮上しました。その中で谷さんは存続に向け奮闘した一人でした。あれから7年、昨年第一子を出産され、ばんえい競馬の次世代への継承をあらためて意識するようになったと話します。

★谷さんは、ばんえい競馬初の女性調教師です。志した経緯は。

谷 あゆみさん

☆谷 私は、奈良県出身の丙年生まれです。故郷は馬が身近な土地柄ではありませんでしたが、子どもの頃に描く動物といえば馬ばかり。馬好きが高じ帯広畜産大に進学し、卒業後は、谷川牧場(浦河町)で、引退後のシンザンの世話係も担当しました。

 その頃の私は、馬に関心はあったものの、競馬に興味を抱くことはなかったのですが、ばんえい競馬を観戦し一変。サラブレッドの倍ほどもあるばん馬が、騎手が乗り重量物を積載した鉄製のソリを引く圧巻のレースに衝撃を受けました。地響き、馬の鼻息、騎手の迫力を肌で感じながら、200mのコースの傍らで伴走のごとく移動。馬たちと時間を共有する一体感は格別で。前へ前へと懸命に進むばん馬の姿に心ひかれ、厩務員に志願。ばんえい競馬を支える一員となった充実感と喜びを感じると同時に、廃止を危ぶむ声に心を痛めました。

 廃止となれば、私も含め多くの人たちが失職し、現役ばん馬に加え、能力試験を控える馬たちも食肉用におろされてしまいます。開拓の歴史を物語る北海道独自の文化と重種馬産を、私たちの代で途絶えさせてしまうわけにはいかないと強く思いました。

 ばんえい競馬を守る一助となればと調教師試験に挑み合格。ほどなく、いよいよ存廃の瀬戸際。路上に立ち署名を集める騎手の皆さんや、本州の競馬場で行われるイベントに馬と共に出演し、存続アピールに奔走する先輩調教師さんの姿に私の心も駆り立てられました。

 初の女性調教師としてメディアでご紹介いただく機会があるごとに存続の必要性を訴え続けたんです。現場の切実な声は、全国放送のニュースにも取り上げられ、寄付のほか、7万人もの署名が各地から寄せられるほど。反響は広がり、大手民間企業が支援を表明。ばんえい競馬は、存続の価値を理解くださった多くの皆さんの共感と協力で廃止を免れ、翌年度から帯広単独開催の「ばんえい十勝」として始動しました。

 その春、厩舎村の馬たちが、陽気に誘われ船をこぐ安らかな様子に、しみじみと、ああ本当によかったと。感無量でした。

★谷さんは、「馬」を題材にした執筆や絵画でも人気です。親しみやすい表現や作風で、競馬ファン以外の方々にも支持されています。

☆谷 道外育ちの私にとって、馬と共存する北海道の暮らしは憧れにも近いもの。連載していたコラムでは、馬と暮らす日常を伝えたいと思いました。例えば、カラスは巣作りに馬の毛を使うんです。大きなばん馬が、カラスに毛をむしられながらも気持ち良さそうな表情で。思わず顔がほころぶ毎春おなじみの光景です。

 ファンレターが届いたり、見知らぬ市民の方に声をかけられることも多くなりました。突然訪ねてこられたご高齢の男性には、玄関先に飾る馬の絵を描いてほしいとリクエストいただき、お礼に立派なカボチャを頂戴したこともあります。地元の人にこそ、地域に根付くばん馬の存在に注目してほしいと願っていたので、読者や近隣の方の思いがけない反応に、喜びもひとしおでした。

★ばんえい競馬の観客層は幅広いんですね。老若男女が馬の間近で熱心に観戦する様は、農耕馬の力比べをしていた頃から変わらない、北海道ならではの風景なのではないかと感慨深くなりました。

谷 あゆみさん

☆谷 中でも、毎年度の最強馬を決める「ばんえい記念」には、多くのファンが集まります。最終ゴールの馬にも惜しみない拍手が送られる温かい雰囲気や、ひたむきな馬の姿に自身の人生を重ね、涙する方もいらっしゃるんですよ。

 熱を帯びるファンにさらなる人気回復を期待する一方、景気は相変わらず先細り。売り上げに響く上に、馬主さんが馬を持てなくなったり、生産者さんが減るような事態になったら、ばんえい競馬の足元から崩れてしまう。危機感もひしひしと感じる日々です。

 ばんえい競馬は、映画やドラマのテーマになることもしばしばです。ひき馬による世界唯一のレースに着眼した海外メディアからの問い合わせも多く、道外の熱狂的なファンも少なくありません。高いエンターテイメント性と文化的価値を有するばんえい競馬は、道民の〝資産〟ともいうべき可能性に満ちています。

 この地で馬と人が育んできた大切な営みを、未来を担う人たちにつなげたい。北海道の時代を拓(ひら)いてきたばん馬に敬意を抱く一人として、それをいかに守り伝え、盛り上げていくか。知恵を絞り、私のできる限りの力を尽くしていきたいと思います。

取材を終えて

深い信頼と絆に感銘

 馬には見返りを期待せず尽くすという谷さん。互いを尊重し無条件で信頼し合える馬との関わりから、多くを学ぶと話します。ばんえい競馬の舞台裏で、ばん馬を支え見守る谷さんの温かい眼差しに力を合わせ北海道を切り拓いてきた馬と人の絆を思うインタビューでした。


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