亘理町荒浜地区の鳥の海ふれあい市場へ戻ると、ちょうど昼の時間に差し掛かるころで、店内はにぎわっていた。野菜や魚だけでなく、総菜や地元のお母さんたちが作った弁当、地元菓子店の焼き菓子などが所狭しと陳列されている。こうした人の出入りの一つ一つが復興への確かな感触なんだろうと思い、その場を後にした。
被災地の復興に欠かせないのが作業員の飲食関係だが、被災地では大げさにいえば、1区画に1つ自動販売機がある。初めて被災地を訪れた際に変わった光景だなと眺めたものだが、何度見ても珍しい光景だ。
山元の町にも、新しい飲食店や弁当屋ができていた。まさに震災特需といえるものだと思う。こうした店舗ができたことも、まちの景色を一変させ、「ここ、どこ?」と記憶をたどっても思い出せない要因となったわけだ。
山元町に関していえば、分譲の土地は全て売れ、住宅が建ち並び、行政が建設するいわゆる〝箱物〟は来年にはほぼ完成する。見た目だけなら、そこには新しいまち、新しいスタートが待っているようにも思われるのだが、本当の意味での復興はまだまだこれからだろうと思う。
というのも、山元町の復興には、多くの外部職員の手が入っている。用地買収の関係は横浜市、都市計画決定の関係は札幌市の職員が持っているノウハウを生かし、大きな山を乗り越えることができた。
今後、新しくできた施設の維持や人口流出の問題への対応など、地元の人たちが考え、直視していかなければならない問題がたくさん出てくるだろう。
では、私たちには何ができるだろうか。被災地へ足を運ぶことか、地元のものを買い、食べることか、この出来事を多くの人に伝えていくことか、それは何なのか明確な答えは見つからない。しかし、被災地では今日もまた復興への着実な一歩が刻まれていることは間違いない。
(2015年11月25日掲載)