古代ギリシャで覇を競っていたアテネとスパルタの二つのポリス(都市国家)はどちらも軍事強国だったが、体制は対照的だった
▼アテネは市民が政治に参加する民主制、スパルタは一部の支配層による全体主義である。主要産業はアテネが商業と貿易なのに対し、スパルタが農業。軍人に求められるものも、アテネでは知恵と勇気、統率力といった英雄的資質なのに対し、スパルタでは規律と忍耐、服従だったそう。両国は数世紀にわたり幾度も交戦したが勝負は決まらない。紀元前5世紀のペロポネソス戦争でようやくスパルタが勝利を得た。ところが喜んだのもつかの間、アテネの貨幣経済と豊かな芸術文化に触れた市民に欲が出て社会秩序が乱れ、国は滅びてしまったのである
▼歴史はアナロジー(類推)で考えるべきという。このアテネとスパルタの史実を、今後の米国と中国に当てはめてみるのは乱暴だろうか。習近平総書記が中国共産党の第19回大会で、スパルタのような「強国路線」を打ち出した。習総書記は今後の指針となる政治報告で、中国は建国100年の21世紀中盤までに、「社会主義の近代化強国」として「世界の諸民族の中でそびえ立つ」存在になると宣言したそうだ
▼米国との協調も表明してはいるものの、尖閣諸島や南シナ海を見ると強大な軍事力を背景に圏域拡大を狙う野心があるのは明らかだ。武力的な交戦にはならずとも、いずれ自由社会の旗手米国と真正面から衝突することになろう。どちらが勝っても世界の混迷がより深まるだけなのは歴史も証明しているのだが。