天正10(1582)年のことである。明智光秀は主君織田信長に反旗を翻し、本能寺を不意打ちして信長を自害せしめた。数々映像化されているから実際に見たような気がしている人も多いのでないか
▼光秀はその後、軍勢を率いたまま二条御所に向かい信長の長子信忠も殺害。天下を手中に収めた。ただ順調なのはここまで。異変を知って遠方から急ぎ戻った豊臣秀吉によって、あっけなく倒されてしまうのである。あらためて言うまでもないが、目まぐるしく事態が動いたこの出来事を「三日天下」という。小池百合子東京都知事がおととい、希望の党代表を辞任するとの報を聞き、まず思い浮かんだのがその言葉だった
▼9月に不意打ちで党を設立してから衆院選走り出しのころまでは、間違いなく政権を引っくり返すだけの勢いがあった。天下人の座にあと一歩のところまで迫ってもいたろう。ところが、である。小池氏は本能寺に火を放つ寸前に自らを火だるまにし、自民軍に大勝利を進呈したのである。希望の党への受け入れで民進党の一部議員を「排除」しようとしたことが失速の原因とされるが、さてどうだろう。むしろ豊洲市場移転や五輪準備の混乱、衆院選での都政軽視で政治手法の雑さが露呈したからではないか
▼作家畑山博が歴史随筆「明智光秀の勝機」で光秀の性格に触れていた。いわく、「高級官僚程度の単純頭」「自信とプライドだけは人一倍」だそうだ。机上の計画を作るのは得意だが、実行のための手順を丁寧に練り上げるのは苦手だったらしい。いや、これは光秀の話。