金融機関に自分の口座を開くのはたいてい就職を機にだろうから、おおよそ今40歳以下の人は「拓銀」と全く関わりなくこれまで過ごしてきたことになる。これが20歳以下ともなると、北海道拓殖銀行という都市銀行があったことさえ知らない人も多いのではないか
▼店頭に置かれていたマスコットキャラクター、クマの「たくちゃん」を見なくなって久しい。拓銀が経営破綻して、きょう17日でちょうど20年である。私事で恐縮だが、筆者が初めて自分で口座を開いたのも就職してすぐのことだった。給与振り込みに必要なためである。会社近くの拓銀支店で真新しい通帳を手にしたときは、社会人になったうれしさとともに身が引き締まる思いもしたものだ
▼個人にしてそうなのだから、会社ならなおさらだったろう。中でも拓銀本店との取引は、その会社に強い成長力があり、社会的信用も高いことの確かな証しとされた。「やっと拓銀さんと取引できるまでになった」。経営者らはそう言って喜んだと聞く。巨艦は一夜にして沈んだ。拓銀がバブルで開けた大きな穴は護送船団にもどうしようもなかったらしい。いや、あれは金融構造改革を進めるために国が本道と拓銀を実験台にしたのだとの説もある
▼そんな声が出るのもバブルを誘発した上、急激に収縮させた国の責任がなおざりにされているからだろう。ただ、それで拓銀が免罪されるわけもない。このところ日本の景気は拡大している。一方で政府も会社も難しいかじ取りが続く。操船を誤るとどうなるか。拓銀の残した教訓は今も新しい。