日立カラーテレビ「キドカラー」をPRするため全国を一周した列車「ポンパ号」を覚えている人はどれくらいいるだろう
▼列車全体に最先端のテレビ技術を楽しく紹介する仕掛けが施され、鳥の姿をしたマスコット「ポンパ君」と遊べるアトラクションもあった。いわば走る科学テーマパークである。本道に来たのは1971年のこと。筆者は小学生だったが、自分の住む町の駅に回ってくるのが待ちきれなかった。これだけ大々的に鉄道を使って宣伝事業をしたのは、後にも先にもこの「ポンパ号」くらいでないか。鉄道が公共交通機関の要であり、駅が地域の人々の拠点だった時代だからこそ実現できたことだろう
▼先週の土曜日、道庁赤れんが庁舎で北海道鉄道観光資源研究会主催の「北海道の鉄道 過去、現在、未来」パネル展を見た。「ポンパ号」の展示があったわけではないものの、開拓期からの歴史を顧みるパネルを眺めているうち、鉄道が今よりずっと身近だった古き良き時代を思い出した次第。同じ感慨を抱く人が多かったに違いない。会場は大盛況だった。歴代の蒸気機関車、急行「大雪」、海の鉄道である青函連絡船、街の顔となった駅舎―。それらパネルを来場者はそれぞれ、自分の人生と重ね合わせて見ていたのだろう
▼そんな会場風景を目の当たりにすると、JR北海道の鉄路維持困難に気をもんでいる人は相当な数に上るのだろうと想像が付く。ノスタルジーだけで問題を解決できるとは思わないが、もしかすると歴史の中にも起死回生のヒントは転がっているのかもしれない。