視線には物理的なエネルギーなどないはずなのに、なぜか力を感じることがある。どこかから見られている気がしてふと顔を上げると、ばっちり目が合うという経験は誰にでもあるのではないか
▼それにちなんだ笑い話を一つ。視線を感じ、そちらに顔を向けると見知らぬ女性と目が合った。おや俺に気があるのかとニヤけかけたところで、社会の窓が全開になっていることに気付く。道理で視線が刺さるわけである。さて、こちらも何かを語り掛けているようで目の印象は強い。木古内町幸連5遺跡から出土した「人の顔」が描かれた石製品のことである。縄文時代中期後半、約4300年前の物らしい。道埋蔵文化財センターが先日、発表した
▼その石製品は一辺が約13cmの逆三角形。石板を顔に見立て、目や鼻、眉、ヒゲもしくは入れ墨などが黒色の顔料で描かれている。目が生き生きとしていると感じるのは瞳があるからに違いない。開眼しているだるまと、していないのとではまるで別物のごとくである。松木武彦国立歴史民俗博物館教授の『縄文とケルト』(ちくま新書)によると、「大規模な定住が進み、人口が増えてその密度も高まった」のが縄文時代中期という。形成された共同体の意識を確認するための器物やデザインといった「芸術」も同時に発達したそうだ
▼「荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね」加藤治郎。今も昔も目は口ほどにものを言う。真実は知るべくもないが、この石製品の目は優しく笑っているようにも見える。縄文美人と目が合ったのかも。