先の大戦前後に活躍した無頼派の文学者坂口安吾は、日本の歴史にも造詣が深かった。作品の端々に歴史をひもとくことで得られた洞察がのぞく
▼例えば『堕落論』にはこんな一節がある。「すくなくとも日本の政治家達は自己の永遠の隆盛を約束する手段として絶対君主の必要性を嗅ぎつけていた」。為政者らが自らの権威付けのために、天皇を利用してきた事実を説いたものだ。日本には過去あまたの実例がある。日本の戦後は、政治家や軍部によるこうした天皇の政治利用を不可能とするところから始まった。誰もが知るところである。ただ、政治から距離を置いたとはいえ、昭和天皇はついに戦争の影から逃れられなかったのでないか
▼その影から離れ、正真正銘、平和の時代を体現されてきたのが1989年に即位した今上陛下である。被災地での励まし、激戦地への慰霊の旅、文化学術活動への目配り。政治に距離を置く一方で国民には寄り添い、膝詰めにするほど近い関係を築こうと努めてこられた。そんな陛下の退位が19年4月30日に決まったそうだ。「本当にお疲れさまでした」。胸をなで下ろし、心の中でそうねぎらっている人も多いに違いない。退位を望む思いが込められた昨年のビデオメッセージを見て以来、一向に進まない議論に国民はやきもきしていた
▼即位してから一貫して困っている人、苦しんでいる人、頑張っている人に手を差し伸べてきた陛下である。安吾には想像もつかない天皇の姿だろう。現在の日本に必要な象徴の役割とは何か。誰よりも真剣に考え続けた方である。