牛乳パックをろうで固めて中にろうそくを差し込んだ手作りのキャンドルが、真珠湾攻撃75周年となることし12月7、8の両日、広島とハワイなどで75本ともされた。富良野に「森のろうそく屋」を開設した造形作家・横島憲夫さんが考案したキャンドルである
▼かつて旭川で「夢灯り」として生まれた環境と心の交流を願うプロジェクトが、平和への願いを未来へつなぐ「ピースキャンドル」となり海を越えたのだ。元祖「点灯虫の会」メンバーだった黒田正子さんはその報を聞き、「一過性で終わるのではなく街の風景として根付いてほしい」と期待を寄せる。1990年、七条緑地にともった12個の穴あき陶器をきっかけに多くの市民を巻き込んできた「旭川キャンドル」
▼92年の旭橋架橋60周年記念行事以降は絵やメッセージを書き込める牛乳パックを使うようになった。97年には広島青年会議所のメンバーだった鈴木俊哉さんが黒田さんに協力を求め、原爆ドーム周辺でもピースキャンドルがともされた。今回、ハワイ州モロカイ島でキャンドルを点灯させたのはアイリーン・キーニニさんら。曽祖父が広島出身で、一家は収容先の同島日系人収容所で終戦を迎えた。来日してピースキャンドルを見たアイリーンさんは戦争で厳しい環境に置かれた思いには共通するものがあると感じ、「平和の祈り、夢、希望」を同島からも発信したいと申し出、今度は鈴木さんが快諾した
▼戦禍と同じ数だけ悲しみがある。「自覚と責任のある平和」を指し示すともしびは、それぞれの思いを秘め力強く輝き続ける。