歌人与謝野晶子は1923年9月の関東大震災を、当時教壇に立っていた神田の文化学院で経験した。地獄のような光景を目にしたはずだが『大震後第一春の歌』にはこんな記述がある
▼「おお大地震と猛火、その急激な襲来にも我我は堪えた。一難また一難、何んでも来よ、それを踏み越えて行く用意がしかと何時でもある」。神にも仏にも頼ることを嫌い、人間性のみを信用して生きた晶子らしい一文ではないか。どんな困難をも乗り越える力が人間にあるのは事実だろう。これまでも数々の悲惨な自然災害から立ち直ってきたのがその証拠である。とはいえ自然災害が襲いかかってくるのを座して待つのでなく、被害を最小限に抑えるようしっかり備えておくのも大切だ
▼そのことを思わされたのは、十勝沖から択捉沖にかけての千島海溝沿いで超巨大地震の発生が切迫している―との報があったためである。政府の地震調査研究推進本部が先頃発表した。確率は30年以内に最大40%というから穏やかでない。マグニチュード(M)8・8程度以上の超巨大地震がこの地域で発生する周期は約340―380年。前回から既に400年が経過しているため、いつ起こってもおかしくないそうだ
▼筆者も釧路で釧路沖と東方沖を経験したが、あのすさまじい地震でもM7・5と8・2である。マグニチュードは数値が0・2上がるとエネルギーが2倍になる。さらに巨大津波も加わるとしたら…。晶子は震災の1年後にこう書いた。「明日に、明後日に来る。私達は油断なく其れに身構える」。肝に銘じたい。