さて、問題である。この一文は何について書かれたものだろう。「飯を食うと米の飯が妙に苦くて脂を嘗めるようであった。全く何一つとして好いことはなかったのに、どうしてそれを我慢してあらゆる困難を克服したか分りかねる」
▼つらい闘病生活に耐えたのかと思えばさにあらず。実はたばこが吸えるようになるまでの経験を吐露したものである。愛煙家の物理学者寺田寅彦が随想「喫煙四十年」に記している。その困難をついに克服した結果、たばこは「実に忘れ難い不思議な慰安の霊薬」とか、吸わない人は「眼の明いているのに目隠しをしている」とまで考えるようになるのだから随分と変わるものである。たばこを吸う人なら寅彦の言に深くうなずいているに違いない
▼ところでそんな愛煙家の人々は今、やきもきしながら事の成り行きを見守っているのでないか。次第に狭まってくるたばこ包囲網のことである。厚生労働省がおととい、受動喫煙対策を強化する健康増進法改正案の原案を公表した。医療機関・小中高大学・官公庁の敷地内、事務所・ホテルの屋内での禁煙は従来検討されていた通り。注目は飲食店で、新規や大手は禁煙とする一方、小規模店は喫煙を認めることにした。さて国民はこれをどう見るか
▼2017年の喫煙率はJTの調査で男性28.2%、女性9%。65年に比べ男54.1ポイント、女6.7ポイント減である。それだけ病気の元だ不快だと煙を嫌う人も増えているはず。今回小規模な飲食店は逃げ道として残されたが、「不思議な慰安の霊薬」に頼る人々の立場はますます弱い。