旧佐賀藩士で1871(明治4)年に政府の外務卿となった副島種臣は、外交交渉に優れた人物であったらしい。占部賢志中村学園大教授が以前、雑誌『文藝春秋』に寄稿した一文を読んだことがある
▼こんなことがあったそうだ。副島が清国を訪問した際、各国の公使が国際儀礼無視の古式な礼を強いる清国に困っているのを知った。そこで副島が談判に乗り出し、清国に国際常識と信義の大切さを説いたのである。かたくなな清国に対し副島は一歩も引かない。交渉は1カ月余り続いたという。ついに皇帝との謁見(えっけん)を拒否して帰国する決意を示した副島に清国が折れ、やっと解決したのだとか。その胆力に「欧米だけではない。当の清国までが敬意を表した」と中村教授は記す
▼明治時代中後期に欧米列強との不平等条約改正を実現させた陸奥宗光や小村寿太郎もそうだが、日本の外交史には時折り傑物ともいえる外務大臣が現れる。さてこの人はどうだろう。今の河野太郎外務大臣のことである。昨年8月の就任から半年、世界を縦横に駆け回り、「意外にも」と言っては失礼だが抜群の存在感を放っている。ことしに入ってからだけでもパキスタン、ミャンマー、中東、カナダ、中国と大臣室の席が温まる暇もない
▼つい先日の中国では関係改善に努める傍ら、硬い表情で知られる女性報道官華春瑩氏と二人で笑顔の写真を撮りツイッターに投稿。皆をあっと言わせた。行動力に加えてSNSでの発信力も河野氏の強みだろう。副島ほどの実績はまだないが不思議と期待したくなる人である。